善に生きるということ
善に生きるか。
悪に生きるか。
この問いに迷いを感じる人は
ほとんどいないと信じたいものです。
あなたは善に生きることを望むでしょう。
それは生きることの意義であり
尊い理想でもあります。
では善に生きることとは?
悪を退けることや虐げることではありません。
悪に立ち向かう強い善は
善のあるべき形であると感じられるでしょう。
しかし悪に刺激を受けそして反応し
真正面から衝突するようでは
それは聖戦という大義を笠に着た
争いでしかないでしょう。
その勝利が何を生み出すのだろうか。
善に生きるとは
強い風に煽られていても
荒波に飲まれそうになっても
雑踏や雑音に存在をかき消されそうになっても
そこにあって何事も考えられること
そこにあって先を悲観せず歩み続けることができること
ただ唯一、自らの平穏を変えることなく
周りに平穏を生むべく尽力することができること。
正しきは
自らが辿ってきた軌跡と今いる足元が見え
相手が辿ってきた軌跡と今ある足元を知ることから
答えが見えてくるものだと感じます。
善に生きることは
単純を極めたところにありますが
簡単なことではないので
悩むことも迷うことも
決して恐れる必要はないと感じます。
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