SMAPという人間模様から学ぶこと
こんにちは、蓮朋龍と申します。
この記事はある問題や課題を題材に
人としての在り方や生き方について考察し
自らの生き方の教訓として反映させることを
目的としておりますので
個人について意見することや
噂の範疇について言及することは
本意ではありませんのであらかじめご理解下さい。
人が他人と価値観や人生を共有し
それを長きに渡って向上や成長を果たしていく
もしくは維持していくには
最初は多少のズレがあったり
歩幅が合わなかったとしても
その向き合っていく時間の中で
次第と調和を取っていこうとするものでしょう。
その調和のために他人を理解し
その個性を認めていく作業も必要となってきますが
もしその個性が全体の調和を
乱す要因になるようであれば
その個性の持ち主が率先して
改善に努めなければいけないと考えます。
それは二人の関係性であっても
時には困難となることもあり得ますが
5人のグループとなると
少数派の持つ個性により起こる不調和は
多数派の調和にとって
より大きな不協和音となる可能性があります。
たとえ少数派であっても
モラルに反することであれば
時に率先してその調和を
打開しなければいけない時もあるでしょう。
そうしたリーダーシップは
少数派だったとしても
人の心を人道的に動かすきっかけとなりますし
正しいことは正しいこととして
正当に理解されるものです。
もしそれでもその個性が
批判の対象となるようであれば
それが長きに渡り理解されないようであれば
その方の個性やリーダーシップに
もしかしたら問題があるのかもしれません。
足並みを揃えるということは
決して仲良しこよしであることではありません。
正しくないと誰かが気付くようであれば
その方は率先してそれを改善するべく
動かなければいけないでしょう。
それによりたとえ
周囲の批判や反対を受けたとしても
結果的にそのグループの将来が
今よりもより良くなるものであれば
その大変な役回りにはとても意味があります。
ただこの正しいという基準であったり
価値観であったりするものは
時に一般的なモラルとは異なり
その方独自のモラルであったりすることがあります。
正しいと思ってすることも
その内実は単なる独りよがりであったり
自己保身や欲望達成が最終的な目標であっては
そこを理解してくれる者は少ないでしょう。
ましてやグループという人生の共同体であり
たとえ一人だけの失敗や間違いであっても
グループ全体のイメージにまで
余波が広がるような場合は尚更です。
誰がその独自のモラルを持っており
誰が間違っているのかではなく
それくらい常に自らの思考や行動にまで
気を付けていなければならないのが
グループとしての在り方なのだと感じます。
正しさの追求は時に頑固となり意固地となり
軋轢を起こすきっかけとなり得ます。
それでも個々に持つ
その正しさを信じて止まないのであれば
それを貫き通すことも一つの方法でしょう。
それがグループとしての存続に影響が出たとしても
その先に何かしらの将来性を見出しているのであれば
それを追い求めてみる価値はあるかもしれません。
その追い求めた結果
理想としていたゴールに辿り着けたか
そうでなかったかはいつかどこかで気付くはずです。
正しさの追求は常に暗中模索なのかもしれません。
人が口を揃えて言うモラルというものも
考えて答えを出す方もいれば
行動を起こしてみて理解される方もいます。
これも正しいものはどちらかという基準に
当てはめるのもおかしなもので
どちらもその個性から導き出される
最良の結果なのだろうと考えるのです。
最良の結果というものは
利得があることを言っているのではなく
起こるべくして起こる
つじつまの合った答えという意味です。
人はこのつじつまの合った答えが
得られるからこそ
本当の正しさに近付くための
ヒントが得られるのでしょう。
内省することも改善することも
こうした条理が立つことからしか
本来は得られないのかもしれません。
それならこうしたグループに起こったことも
今まで向き合ってきた中から得られた
つじつまの合った答えだとも言えますし
ここをきっかけにいつの日かまた
つじつまの合った答えが生まれることでしょう。
それは受け入れなければならない事実ですし
その先にあるつじつまの合う答えが
もし願わない方向に行くのを
受け入れられないのであれば
今、考えなければいけない時なのかもしれませんし
行動を起こさなければいけない時なのかもしれません。
人は誰もが何かを思い何かを考え
必死に今という瞬間を生き繋いでいます。
誰が良くて誰が悪いかの判断よりも
その個性の生かせる場所や方向に
自然と流れていったのだろうと
解釈することが大切で
そこから得られるつじつまの合った答えが
その方々の生き様であると
ただ認めてあげることが大事だと感じます。
当事者と傍観者が共有できるものは
ただ起こったことを
そのまま受け止めて理解することであり
それを自らの生き方の
知恵にすることにあると思います。
教わることはたくさんあります。
あなたは発する側にあるのではなく
その事実を受け止める側にあることを知りましょう。
人はそうして成長していくものだと信じております。
最後までお読み頂けたことに
とても感謝しております。
私も思うことは発しましたが
あなたと同じ受け止める側にあります。
一緒に受け止める側のモラルを探していきましょう。
「もともと 特別な Only one (だから何があっても最後は許せるのです)」
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