四柱推命にできることは一筋の光でしかありません
こんばんは、蓮朋龍です。
四柱推命に限らない話なのかもしれませんが
占いという類はとても万能なツールで
その方に起こった過去の事象を裏付けさせたり
これから起こるであろう未来について
明確に白黒の付いた結果として
分かるものであるという解釈が
当然のようになされているのが現状なのかもしれません。
こうして今の今まで運命学を研究し考察し
そして相談者様のご相談を数々伺わせて頂いた中で
より深く思うことは
「占いにはできないことが多い」ということです。
心の闇夜を払拭するくらいの
まばゆい閃光を放つことなど到底できず
できることとしたら
周囲は闇夜であることを認識させるくらいの
小さな灯火、もしくは一筋の光程度でしかないということです。
しかしだから相談者様は
自らの思考の下、
その闇夜が居心地の悪いものであるということを知り
自らの行動の下、
その小さい光に近付こうとするのでしょう。
しかしそうした中にも時には
闇夜の方が居心地が良いと感じ
その光に目を背けたり遠ざけようとする方もいます。
そこで辿り着いた答えが
誰もがその闇夜を抜け出すことに
答えを求めていないということ。
それは闇夜が調和であり光が不調和を
生み出していると思っていることに原因があります。
こう申し上げてしまうと
大変おこがましいことなのかもしれませんが
光に対しての感じ方や受け取り方は
その方が持つ心根に大きく左右されると言えます。
占いの答えが全て光であるとは申しません。
ただ直面する問題を解決させて頂きたく
光でありたいと思っておりますし
またご相談頂いている以上、
光でなくてはという責任は感じています。
だから後光のような光ではなくとも
少なからず足元を照らせる提灯くらいの光には
ならなくてはとアドバイスさせて頂いてはおります。
話が横道にそれましたので戻させて頂きますが
その相談者様が持っている心根は
たとえば改善する意欲や反省する気持ちがあるならば
少なからず光の存在がポジティブであり
闇夜の存在がネガティブだと認識できるはずなのです。
しかし現状、多くの相談者様方々の意向として
自らの願いや欲するものに素直過ぎるがゆえ
それを求めてしまうと結果的に何が生まれてしまうのか?
それについて鈍感であるため
諫める言葉や省みることを求める言葉は通じないです。
そこに多くの問題があると知る必要が根本としてあるのです。
こうした場合、その方にとっては
闇夜の存在がポジティブであり
光の存在がネガティブに映ってしまうので
周囲のアドバイスや言葉に耳を傾けることができないのです。
占いができることは本当にたかが知れています。
それは実際に現状をどう捉えていてどう感じているのか?
そしてこれからどう行動を起こしていくのか?については
占う側には何もできず、全て相談者様方々に委ねられているからです。
もしかしたら占いは一筋の光でも足元を照らす提灯でもなく
それ以下なのかもしれません。
ただ本当に小さなマッチの火程度の明かりあっても
その心根の向かうポジティブを間違うことさえなければ
その明かりをヒントに自ら抜け出そうと
その一歩を踏み出そうとすることでしょう。
占う側がその「一歩」に賭けていると言っても過言ではないのです。
あなたがもし今、悩まれていることを誰かに相談されるとき
明確に改善する言葉が欲しいのか?
後押しの言葉が欲しいのか?
ただ聞いて欲しいだけなのか?を
自らの心根に尋ねてみて下さい。
あなたを心から心配して言葉をかけて下さる方々の心根を
大切にされて欲しいと心から願っております。
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