四柱推命【基本の考察3】「原因や理由のない災いは一切起こらない」


こんにちは、蓮朋龍と申します。


先日、【基本の考察2】「命式は主観の世界でしかない」でも述べさせて頂きまして、

人生は主観の世界であり、その主観は命式の影響によるものと説明させて頂きました。


この度はその説明を補足したものとなりますが、

より現実的かつ普段の生活に密着していて、

それは不確定要素の多い、運や偶然などには左右されてはいないことを

まず理解する必要があると感じます。


運命学という学問は将来を当てるものではなく、

過去の経験や得てきた知恵、

育んできた人間関係などの延長線上で起こるであろう事象や事柄が

将来にどうした形で現れるかを推断することが主となります。


そのため起こり得る将来には必ずと言って良いほど

その原因や理由、根拠がそれ以前のどこかに存在するものです。


ではその原因や理由、根拠はどこにあるのか?

過去のどの時点にそれが現れるのか?

そしてなぜそれが起こるのか?


それを知る手掛かりが四柱推命式の中にある

性格や個性を司る「主観」にあるわけです。


その「主観」を育む環境の根本は

家系にあり家庭にあり家族にあります。


そしてその環境の中から何を感じ、何を学び、

何を吸収し、何を今後の知恵として生かすべきか?を、

自身の「主観」というフィルターを理解することで

自分寄りではない客観的でクリアな知恵を育む気付きへとすることができます。


極論ではありますが良い原因や理由からは、良い結果が生まれますし、

悪い原因や理由からは、分かりやすく悪い結果が生まれることとなります。


主観」は誰にでもあるものなので、

これを100%省いて生きていくことは難しいでしょう。

言うなれば「主観」は100人いれば100通りの個性、

そしてアイデンティティ(Identity)を生み出すものとも言えます。


しかし「主観」のために

時に自己主張が過ぎて、不和を生み出すことを知らなければいけませんし、

その時には目に見えて何も起こらない、感じなかったとしても、

後々の将来にそれが原因や理由となって、

一般論的な凶事となり現れることとなります。


これが運命学的にいう「凶」であるということを、

まず一番最初に理解する必要があるでしょう。


「なんだ。それなら運命は変えられないじゃん!」

「それなら鑑定を受ける意味はないのでは?」


と感じられる方は、

まずこう考え方を改めなければならないでしょう。


・自身がその凶事を改善するためにこれから努力する意識を養う。

・これから起こり得る凶事が偶然に起こる災難ではないことを知り、

 凶事と捉えるのではなく必然で起こる事柄と理解し、

 前もって対処する知恵を育むこと。

・「主観」や「個性」の何が過ぎると不和の原因となるのかを知る。


これらを学ぶためのきっかけとなるのが、

運命学の在り方なのだと考えています。


自分で自分のことは案外見えないものです。

それは自分を客観視するということでさえ

主観」というフィルターが邪魔をしているからです。

もちろん他人から指摘されることにも

その他人の「主観」があることには変わりありません。


だからこそ自身でその「主観」に気付き、

改善するため常に意識する必要があるのです。


運命学である四柱推命も推断者の「主観」が時に加わる時もあります。

こうして記事を綴らせて頂いている私でさえ、

主観」を全て拭い去ることはできないでしょう。


だから常に学び、常に正し、

常に考察を続けていかなければならないものであると実感しております。


四柱推命は推断者である私の「主観」の癖をも浮き彫りにします。

この出会いにとても感謝しております^^

だからこの喜びと感動を少しでも理解して頂けたら幸いに思いますし、

これから四柱推命で鑑定を受けられる方、

もしくは以前に四柱推命で鑑定を受けられたことがある方は、

自身の「主観」を理解するための知恵とされますことを

心より願っております。


主観」と持論の多いお話に

最後までお付き合い下さいまして本当にありがとうございました(^^;

この出会いにとても感謝しております^^




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